Tetsuya Kumazaki

WOODY PORTFOLIO

ジャックとパウロ。舞台はフィリピンへ。

台中から高雄にバスで移動をして、美麗駅という駅の最寄にあるセンターホテルへ向かった。
そこが、台湾の残り3泊が最も安かったから。だいたい1人1泊800円くらいだった。
そこを拠点に、その日は周りのご飯屋さんを探して、僕らの中で当たり前になってきた肉操飯のある店を見つけた。その日は鶏肉飯を食べ、帰って就寝。
次の日は、龍と虎という観光地へ。
龍と虎の口が入り口になっている塔が2つ並んでいた。
世界一周に来て、初ドローンを飛ばし、たくさん映像や写真を撮れたので満足。
だが、めちゃくちゃ疲れたので、その日は夜市の撮影はせずに、肉操飯を食べて帰った。肉操飯は朝は20元の店がやっているが、夜は25元の店しかやっていなかった。

そして、次の日、つまり9/19。この日は台湾に1日いるラストの日だった。
残りのお金を出来るだけ使って夜市を楽しんだ。(企画で笑)

大きな唐揚げ、タピオカジュース、炒飯、台湾ビール、餃子、、、
高雄は台北よりも発達してないが、夜市も大きく、観光地もあり、台湾らしさを感じていた。美味しいものを食べて、幸せを感じていた。

※夜市にて


帰り道、夜市の様子を撮ろうと、写真を何枚か撮っていると、家族揃ってご飯を食べていたお父さんが、こちらを見てピースをして来た。家族みんなもこちらを見てニコッとして写真を撮らせてくれた。

普段、カッコいい写真を撮ろうとしか思っていなかったけど、写真で残せる思い出や、その場の雰囲気を残せることに魅力を感じたし、幸せだった。

※家族写真

そして、9/20。とにかく身支度をして、肉操飯を食べ、チェックアウトをし、高雄空港へ。高雄空港はそこまで大きくなく、フィリピンの友達(ジャック)へのお土産を買ったり、残ったお金でご飯を食べたりして過ごした。
※肉操飯


19:50に無事、シンガポールへ飛んだ。
そこからトランジットでマニラへ。
初の乗り換えでだいぶ疲れたが、21日の朝、久しぶりにジャックと再会をし、無事にマニラにつけてよかった。

ジャックの家では着いてシャワーを借りたが、すぐにカルチャーショックを受けた。
シャワーは水しか出ないし、トイレは自分で水を汲んで流していく。コンクリートでできたアパートで、防犯も日本の常識から考えたら心配になる感じだった。
ジャックの甥のパウロが隣に住んでいて、そこで仮眠をとらせてもらい、その後、換金や、夕食へ連れて行ってもらった。
夕食は日本食レストランで久しぶりのラーメンを食べた。(600円くらい)

ジャックと話していると、ジャックは僕に旅が終わったらどうするの?成功した場合、成功しなかった場合と聞かれた。
僕は「成功したらもっと旅して、いろんな挑戦をYouTubeでやっていきたい、それが仕事だから。失敗しても、また挑戦して、やり直すよ!」と言った。
ジャックは考えてることは素晴らしいと言ったうえで、こう言った。
「僕は悲しい。フィリピン人の君たちくらいの世代の子が世界一周をしようとすれば、10年は働いてお金を貯めないとできない。もし、失敗すれば、帰って職に困る。みんな生きる事に必死なんだ。日本はリッチな国だ。君達の親はリッチかい?そうじゃないなら君達は日本の普通だ。普通の子達がお金を貯めて旅できる。フィリピンの普通はそうじゃない。君達は若い。そしてラッキーだ。もっとシリアスに夢を成功させてほしい。」
物凄く、胸が痛んだし、よく聞いたことのあるような話だとしても、リアルを見て、真剣に話されると、自分の身体がこれはリアルに起きている事だと気づいた。

ジャックやパウロは良い人格の持ち主だし、スマートだけど、日本人よりはお金の面で苦労している。
世界各国で起きている格差と、現地の人の境遇や、気持ちの差を悲しく思った。
ジャックは「僕は英語教師をしていると、友達に馬鹿げてると言われる。なぜジャックは頭が良いのに、もっと給料の高いところで働かないんだと言われる。でも、なぜ英語教師をしているのか。それは教える事が好きだからだ。お金の為に働いちゃいけない。好きな事をやるんだ。後からお金はついてくる」とも言った。

台湾ではなかなか現地の人と触れ合えなかったから本当の台湾は分からなかったかもしれない。
でも、フィリピンの現実を知って、少しフィリピンを知れたような気がする。
若い僕らは日本だけを見ていては狭いと思うし、恵まれている事に気付いて、もっとシリアスに夢を見るべきだと思う。世界へ向けて英語を使って発信する事に意義を感じた。
下手な英語だけど、旅ブログでも作ってみようかなと思った。
Nas daily というイスラエル出身のYouTuberを教えてもらった。ナスは英語が話せる。そして、分かりやすく、世界のことを教えてくれる。物凄くやりたいと思った。英語で日本のこととかをビデオブログにしたい。

9/22の朝、起きて、相方がシャワーを借りている間に、昨日自分が感じた事をジャックに話した。
「ドキュメンタリー映画を作りたい。フィリピン人のことや、他のアジアの事実も学んで、日本がアジアの中でいかに恵まれているのか、日本の若者に伝えたい。」
ジャックは是非伝えてくれ、と言って
「パスポートを見せて」と続けた。
パスポートを見せると、
「このパスポートの価値を知ってるかい?日本人はビザなしでどこでも長い期間でもいつでも行ける。でもフィリピンのパスポートは違う。ハワイに行こうとすれば半年はビザの準備をしないといけない。たくさんのwhyに答えないといけない。仕事、お金、理由、、、。日本人ならただ日本人というそれだけで明日にでもハワイに飛べる。僕はカナダにいる母に会いに行こうとしても行けない。ビザが取れない。日本を訪れた時、入国審査で審査官が僕を見て、笑顔から厳しい顔に変えた。フィリピン人は貧乏だから旅行はできないと思っているからだ。ほかの人は何もチェックしないのに、僕のカバンだけ細かくチェックし、たくさん質問してきた。心が痛んだ。不公平だ。だけど、日本の中にいる人たちはとても親切だった。だから日本は好きだ。ほとんどの日本人はパスポートの価値を知らない。みんな日本だからとしか思っていない。いつかフィリピンのパスポートが日本と同じように力を持ち、私もいろんな国に自由に行けるようになる日を夢見ている。」
と語ってくれた。
世界一周から帰ったらいろんな映像を使って、日本のパスポートの価値だったり、恵まれている環境が伝わるようなドキュメンタリーを作りたいと思った。

その日はスペイン領だったため、ヨーロッパを感じる大きな協会へ行った。
※協会

23日はタガイタイという丘の頂上で観光とビュッフェをご馳走になった。
※タガイタイの景色とビュッフェ

ビュッフェでは豚の真っ黒な血が並んでいたり、アイスが紅芋味みたいなのがあったり、驚いたが、フィリピン料理は美味しかった。
ドローンを飛ばしたが、高度の関係か、上手くコントロールできなかった。

ジャックたちはキリスト教の家系だが、もう信仰はないという。
ジャックとパウロは祖父母が金持ちだったが、貧乏な人達にお金をあげていたため、お金が無くなり、貧乏になったそう。
他にも、スペインの植民地だった際に、キリスト教を使って、フィリピン人をコントロールしていた歴史があるのも関係している。
ジャックはフィリピン人には選択肢が無かったとよく言っていた。
僕にアドバイスをしてくれと言った時にも、「アドバイスはしない。提案をする。なぜなら、アドバイスをしたら、君は選択肢がないが、提案なら、君がやるかどうか決めれる」
と言っていた。
僕が、たくさんの夢を同時に追いたいと言うと、
「何故、人が2つの手しか持っていないのか分かるかい?1つの手が、もう1つの手の仕事をサポートする為だよ。もし、両手でスマホを触っていれば、1つは落として壊れてしまう。」
と言っていた。
1つずつ叶えていくことは大切だろうな。。
そして、ドキュメンタリーを作る時には外国人が思うWhyを考えて、分かりやすく答えていくことが大切だとも教えてくれた。
とにかく、ジャックから学ぶことは多かったし、英語の必要性を感じた。
これは日本から出ないと分からないし、観光では分からない事だと思った。

マニラでは、カジノにも行った。
※Okadaというカジノ

子供の遊ぶ場所もあるし、パチンコと違って、静かな雰囲気で、ゴージャスで、とても好印象だった。

旅をする前は、自分のやりたいこと、ビデオを撮ること、発信することが全てだと思っていたが、今は旅をすることで自分の考える世界の広さが変わり、いかに伝えるか、知るのか、勉強するのか、異文化を感じるのかが大切だと今は思う。
これからいろんなジャンルの方々と協力していくことで夢は近づくんだろうな。。。

24日、ジャックたちと別れ、今は地球の天国と呼ばれる島、コロン島へ向かっている。

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