桂浜は大きな道路から浦戸大橋という龍馬マラソンにも使われる橋を渡り、さらに坂道をぐねぐね下った所にある。
まず僕は坂を上がることから始めた。
いつも通り、バックバックにスケッチブックをくっつけてはいるものの、なかなか成功しない。
気づけば、ぐねぐねの坂を上がりきり、浦戸大橋の目の前まで来ていた。
「・・・このままだと市内まで歩くはめになるぞ。」
そう思い、高知市方面と書いたスケッチブックを橋の入り口で掲げた。
南国を思わせるヤシの木にバックパックとリュックサックを立てかけ、時を待った。
いつもと違っていたのは目の前の景色に海があったことだった。
※その時の景色
1時間ほど待つと、車が止まった。
若いお兄さん二人組だった。
「お兄さん乗ってきますか?」
高知市内までならと言うことで乗せて頂いた。
そして、道中では高知県民は土佐弁を話すんだけど、仕事中におじいさんおばあさんから電話がかかってきたら土佐弁で話すと伝わることがあるんですよ〜と地元民ならではの話も聞かせて頂いた。
愛媛まで行く人は下道か高速どっちを使ってもかかる時間が一緒だからどこがベストか分からないという謎の現象にも悩まされ、結果、高知インターの前のコンビニで下ろして頂いた。
本当に助かった。。。
※桂浜から乗せて頂いたお兄さん方
またそこで車を待つこと1時間半。
声がかかった。
SAまでということで乗せて頂いたのは数学の先生をされている旦那さんとその奥さん、娘さんというご家族の皆さんだった。
香川県に帰られる途中ということだったが、愛媛側のSAまで乗せて頂いた。
わざわざ遠くまで行ってくださるのは、ご縁は回ってるからとのことだった。
旅をしていて、この考え方は僕の中でとても大事にするようになっていた。
ありがとうございました!と写真を撮ったが、ぶれてしまった。
痛恨のミスだ。。。
※写真はブレたが、お世話になったご家族の旦那さん
そのサービスエリアは豊浜SAというところで、とりあえず愛媛方面へ向かう人ばかりだと聞いていた。
あまり心配することなく、休憩をし、外は夜で暗かったが、スケッチブックを掲げた。
40分程待ち、1人のお兄さんが声をかけてくださった。
「次のサービスエリアまでなら」
車に乗ると娘さんが助手席、後ろの席に奥さんが乗っていた。
ヒッチハイカーを乗せてみたことがなかったので経験にということだった。
そう言って乗せてくださる優しさにいつも感動する。
次のサービスエリアまで50キロほど進み、お礼を言って別れた。
※お世話になったご家族
そこのサービスエリアは石鎚山SAというところで大きいSAだったが、夜は人が少なく、1時間ほどヒッチハイクをしたが、10分に一台いれば良いレベルだったため、その日は諦めることにした。
そのサービスエリアで、カレーライスを食べ、端にあったAM11:00営業開始の料理店の前のベンチで寝た。
※カレーとその日の寝床
深夜1時頃に眠りにつき、朝の7時頃に目が覚めた。
途中で起きることなく、しっかりと熟睡して体力回復をした自分に驚いたが、旅をする能力が上がったと思い、喜んだ。
そして、高知の親戚にもらっていたクッキーを朝ごはんにして、AM9:00にはヒッチハイクをスタートさせた。
もうヒッチハイクに慣れて、人前でスケッチブックを掲げることに何も感じなくなっていた。
時々、声をかけてくれる人とも楽しく会話できるくらい余裕を持っている。
少しして、しまなみ海道の島の一つである大三島まで行くお兄さん2人組みに声をかけられた。
お兄さんたちは大三島にある伊東豊雄建築ミュージアムというところへ行く途中だったそうだ。
建築関係のお兄さん方は勉強熱心だなあと僕も頑張ろうと気合が入った。
しまなみ海道の途中にあるSAまで乗せて頂いた。
※建築関係のお兄さん方
そのSAでは広島と書き、スケッチブックを掲げた。
すると1分で声がかかる。
大阪へ帰る途中という島出身の方だった。
一つの職場一筋35年という方で、そこまで継続するのは凄いなと1年で辞めた身の僕は一瞬肩身が狭かった。
が、僕は僕の夢や生き方があるので、しっかりと夢を話して胸をはった。
気楽に話してくださったので、とても楽しい雰囲気でしまなみ海道を降り、広島県尾道市へ突入。
その少し先の三原市のコンビニまで乗せて頂いた。
名刺を渡し忘れてしまったのが残念である。
※ニックネームはセブンさんらしい。
あっという間に愛媛県をすっ飛ばしてしまったため、松山市や道後温泉は観光できていないが、またゆっくり来よう。
しまなみ海道は天気が良くとても綺麗だったが、これも高速で一瞬で過ぎ去ってしまったため、今度は自転車でじっくりと行こうと思う。
※しまなみ海道の途中のSA
三原市のコンビニから広島市まで77キロと看板に書いてあった。
瀬戸内海を十分に眺め、休憩をとると時刻はPM1:00を回っていた。
少し休憩しすぎた。
そこで1時間程広島市方面とスケッチブックを掲げ、止まった一台の車には外国人の方が乗っていた。
3キロ先のコンビニまででよければ乗せるよ!
と言っていた。3キロ。。。と一瞬思ったが、こういう小さな積み重ねで奇跡は起こると知っているため、喜んで乗せて頂いた。
イタリアの方で日本に住んで25年だそうだ。これから協会に向かうという。少しの時間だったが、ありがたかった。
※イタリアのおじさん
そのコンビ二で奇跡はやはり起きた。
スケッチブックを掲げて待っていると、トラックの助手席のお兄さんが手を伸ばして
「頑張って!」とコーヒーをくれた。
こういう小さな優しさがたまらなく嬉しい。
※くれたコーヒー
そしてまた、そこで僕の弟のいる広島市まで乗せてくださるお兄さんにも出逢った。
お兄さんは広島の美味しいものや、文化を詳しく教えてくださった。
例えば、通りがかった瀬戸内海の浮かんでいるイカダを見て、
「あれは牡蠣イカダって言って、牡蠣を養殖しているんだよ」
と名産である牡蠣について教えてくださったり、宮島には鹿がたくさんいるんだよと観光地について教えてくださったりした。
特に印象深かったのが、お好み焼きについてである。
お好み焼きはチェーン店ではなく、こじんまりとやっている所の方が美味しいという情報だった。
お兄さんはそのお好み焼きを食べさせてあげると奢ってくださった。
食べた初めての麺が入ったお好み焼き。
正直メッッチャ美味しかった。味がきになる方は広島市のお好み焼きとしちゃんというお店に行ってみるといい。
※ご馳走になったお好み焼き
本当に助かった。感謝しかない。
※お世話になったお兄さん
そして、4月1日、無事に弟のアパートに到着。
4月2日。
広島を観光することにした。
広島といえば、原爆ドーム。
中学の修学旅行以来に見たが、1945年8月6日に起きた戦争のあとがそのまま残っていて、当時をイメージすると本当に戦争は2度としてはいけないと思った。
このように当時をイメージさせる戒めとして残っているものは本当に価値があると思う。
近いうちに東北の震災の後も見に行きたい。
そんなドームの側の桜並木の下でわいわい花見をしているみんなを見ると、広島という場所は幸せが溢れるようになったのだと100年も経っていない過去と比べて感じたのだった。
※原爆ドーム
他にも宮島へ行ったり、桜満開の広島城へも行った。
広島を観光し、4月3日、広島を出て、姫路城を目指す。
さあ西日本一周も終盤に入るぞ。
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高知の人間 2018年4月5日
無事に広島に着いて良かったです(^^)
これからの旅も大変と思います。
たびの武運と無事故を祈ってます!
tetsuya 2018年4月9日 — 投稿者
ありがとうございます!
本当に感謝です(>_<)