Tetsuya Kumazaki

WOODY PORTFOLIO

旅人を泊め続けて137人目!?

2018年3月18日。

「ゲホゲホッ」

咳で目が覚めた。
仕事をしている時は1年間風邪をひかなかったのにな。

※青島ゲストハウス

旅は結構ハードだと思う。

青島のゲストハウスでは韓国人が一人、ドイツ人が一人、
日本人が二人の4人で寝ていた。

韓国人はツルッツルにハゲていて、完全に僕の偏見だが、
絶対北朝鮮の工作員だと思っていた。

彼は、韓国語にあって、日本語にはないという発音を
親切に教えてくれた。

韓国人 「韓国語は4種類の”ン”があるんですよ」
僕「へ〜そうなんですね。。。」
韓国人「行きますね!」
※実践してくれるという。
「ン と ン(強め)とン(苦しそうに)とン(もっと苦しそうに)です」

いや分からんわ笑
全部同じ”ン”に聞こえました。

ドイツ人の彼は日本に2年住んでいたことがあって、
宮崎の木崎浜でサーフィンを経験していた。

中国を経由し、関西空港に到着した後、さらに
この宮崎まで飛行機で来たそうだ。

宮崎の波はそれほど良いのか。と思った。

※ドイツ人のサーファー

二人とも日本語がペラッペラで外国人2人と日本語で
会話している状況が少し違和感だった。

 

とにかく体調を崩した僕はずっと咳き込んでいた。
きっと迷惑だったと思う。ごめんなさい。。。

体調を直そうと、チェックアウト時間のAM10:00ギリギリまで
休んでいた。

「よし、今日は青島駅から宮崎市内まで出て、ヒッチハイクで
大分けんを目指そう。」

気合いを入れて、AM10:30頃に青島駅に着いた。
そこで、財布の中身が、400円だった僕は、お札が崩せるのか
不安だったので、切符販売機を探した。

そこで、青島駅が無人駅ということに気づいた。

待てよ、嫌な予感がする。
僕の地元の岐阜県の駅も同じように無人駅だが、
電車の本数が少ない。

予感は的中し、次の宮崎市内へ向かう列車は
AM11:36発だった。

あと1時間どうするよ。。
歩くには遠いし、体調は悪いし。。。

仕方ない。青島をもう一回行こう。
そう決めた。

歩いて青島へ向かうと、駅周辺は静かだったのだが、
日曜ということもあり、賑わっていた。

たくさんの観光客が橋を歩き、
サーファーやヨットに乗った人たちで
昨日の夕方に見た景色とは全く違う青島だった。

昨日の夕方の青島は潮が満ちていたが、
今日の朝は潮が引き、鬼の洗濯板が見えていた。

※3月18日の夕方の青島

※3月19日の朝の青島

本当に洗濯板に見えた。
あ、これが由来だなと一発でわかった。

自然が作り出したものは少し恐怖心が芽生える。
“鬼の”と名前がつくのは昔の人たちもきっと
少し恐怖を感じたんだと思う。

人間は自然に生かされている。
自然には勝てない。それを本能が知っているんだ。

青島駅がのんびりしていたこと。
この場所がのんびりとしていたこと。
そのおかげ様でこの景色とこの感情に出会えた。
よかった。と思えた。

宮崎市内へ無事に到着。
今回も同じように、駅の案内所へ行き、大きな道路で
大分行きの車がたくさん通るところを聞いた。

すると、また県道10号だった。
あ、鹿児島から宮崎、その後大分まで続いてるのか。

少し親近感と安心感を覚え、今日は大丈夫かなと思った。

15分ほど歩き、県道10号へ。

すでに12時を回っており、朝はカロリーメイトしか
食べていなかった。

ヒッチハイクはご縁がどれくらい待って訪れるのかは
その時次第だ。

「よし、長期戦に備えてご飯を食べよう。」

そう思い、コンビニで100円セールのおにぎりを3つ買い、
昨晩スーパーで買っていた98円の2L入り阿蘇山の天然水
で体力をつけた。

月曜からは雨の予報のため、今日は進みたい。。。

スケッチブックに大分方面と書き、
宮崎特有の背の高いヤシの木の並ぶ道路の
横でひたすら待った。

すると40分くらいして1台の車が止まった。

「大分まで行かないですけど良いですか?」

若い女性だった。
一番ヒッチハイクと無縁な種族ではないか。

と驚いた。

彼女はピースボートで世界一周をしており、
旅人への理解があった。

旅ってもっと若い人はするべきだと再認識した。

「どこまで乗せて行きましょうか。」

と心配してくださり、川南PAというところまで
わざわざ高速に乗って連れて行ってくれた。

本当に素敵な人ばかりだ。。。。

※川南PAまで乗せてくださった方

川南PA。
それほど大きくはなかったが、高速に乗っただけで状況は
天と地ほど違ってくる。

酪農が有名な地域のため、少し臭ったのが印象的な記憶だ。

そこのトイレの前で大分方面と買いたスケッチブックを
手に、音楽を聴きながら待っていた。

最近イヤホンの調子が悪く、右耳のみで聞いていた。
長く聞いていると気持ち悪くなり、聞くのをやめた。

そこで、一人のおじさんが立ち止まった。

「延岡までなら行くよ。」

どこだ。

と思ってしまうところが地理に興味がないことを
表していた。

携帯で調べると、宮崎の一番北側の街だった。

僕はどこだろうと、わざわざ僕に声を掛けて頂いた方に
乗って行こうと決めていた。

そこから小さな奇跡が連鎖して行くのを旅を通して、
すでに学び、それは確信へ変わっていたからだ。

おじさんの車に乗せてもらうと、
奥様が

「今夜泊まるところはあるの?」

と聞いてきた。

もちろんないですと答える。。

「絶対泊めてくれる家を知っているから
紹介しようか?」

と奥様は続けて言った。

なんだそこは。
と思ったが、これもご縁だと思い、
ぜひお願いしますと言った。

※延岡まで乗せてくださったご夫妻

そして、僕はその家に着いた。

元気の良いおばさまが出迎えてくれた。

ご主人は魚を釣りに行って今はいないそうだった。

「家に泊まる旅人はあなたで137人目よ」

と聞いたときはとんでもないところに来たと思った。

ご主人が帰ってから、延岡で作られたお酒や、焼酎、
ビール、刺身にご主人が釣られた魚、奥様が採って来た
菜の花などをご馳走になった。

「気なんて使わなくて良いよ」

突然来た旅人にとんでもなく優しかった。

とても不思議な状況に少し戸惑ってしまった。

体調が悪いこともあり、少し静かになりすぎた気がするが、
おじさんがとても幸せそうに笑うのと、奥様の楽しそうに
話している姿を見るととても幸せな感覚になった。

※頂いたご馳走。

翌朝目覚めると、朝ごはんをご馳走になり、
昼ご飯にとおにぎりまでもらった。

そして、

「旅人にはみんなこの紙に名前と住所を書いてもらってるんだ。
あと、このくるみの殻で作ったストラップも渡してる。
この赤の紐は俺と直接会った印だ。
あとは写真をとるぞ」

とおじさんは言って、記録を刻んでいた。

※くるみのストラップ

※集合写真

宮崎県延岡市には不思議な
旅人を泊める家があった。

巡り合わせは面白い。

おじさんが言っていた名言をいくつか紹介したい。

①365×100=36,100日
その1日に児玉というジジイがいたな
と思ってくれればそれでいい。

②みんないろんな物を捨てて旅に出る。
それはいろんなものを拾うためだ。
旅して見つけた宝物はリュックに詰めて行きなさい。

③人が少し助けてくれたら叶うような
あと少し、、というものが夢だ。

僕が旅をできているのは、
親に健康な体をもらい、家族が健康でいてくれるから。

感謝をしなければならない。

旅。想像を超えて面白い。

想像していた人生を超えられる気がする。
そんな不思議なパワーをくれる。

今日は大分にすでに着いており、ネットカフェで
このブログを書いている。

また、大分までの記録は後日としよう。。。

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